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戯れたい

I LOVE GEOGRAPHY
新日曜美術館 踊る朝顔 江戸の絵師 鈴木其一の挑戦
YahooでもGoogleでも、「朝顔図屏風」で検索すると今のところ検索結果の1ページ目でスクロールしないでも表示される位置に、このブログの記事が掲載されてたりする。

朝顔図は、よく知らないけど、屏風絵という様式の頂点に君臨する作品だから、本当はこんなとこが検索上位に顔を出しちゃまずい。けれどおかげで7月20日のNHK新日曜美術館「踊る朝顔 江戸の絵師 鈴木其一の挑戦」が放送される前後の時期にあってここも少しだけ盛況だった。
せっかくなので番組の感想を。

うねるように踊るように、朝顔だけを、六曲一双の金地大画面に描いた「朝顔図屏風」。江戸時代後期に活躍した鈴木其一(すずききいつ・1796〜1858)の傑作である。

花鳥画の伝統にはない異色の作品はなぜ生まれたのか。そして、其一は、何をめざそうとしていたのか。

「朝顔図屏風」誕生の秘密を探りながら、師匠も琳派も越えて、時代を先取りしようとした其一の生き様に迫る。


結局この解説文にほぼ沿ったものだった。
画家の生い立ちから朝顔図を描くまでの半生、時代背景、後半生の画業までを解説する内容で、朝顔図は話をぶらさないための三角点のような位置づけ。朝顔図に心奪われている身からすれば、もっと正面からぶつかってほしかったところではある。

朝顔図の評価としては、大胆な描写が印象的な、写実と装飾のバランスの中に造形のかがやきを感じさせる作品みたいなことを話してた。
これに先んじる作品として尾形光琳作の国宝燕子花図屏風への言及があり、また其一自身の作品では夏秋山水図屏風と桜に薄図屏風が紹介されていた。いずれもパターンデザインに優れた屏風絵。
それらが、計算されつくしたデザイン力がもたらした傑作、朝顔図屏風につながる。

あれは画面構成の勝利。
朝顔はただ扱いやすく様式化された構成要素。それら要素を屏風のデザインに組み上げた計算に、作品としての本質があるのだろうと思っている。

そんなわけで秘められた計算が解き明かされるのを期待してたけど、その方向にはほとんど言及されてなかった。そもそも自分は作者に興味をもってないので、実はこれ感想にもならないな。
| 屏風 | 01:39 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
サントリー美術館、BIOMBO/屏風 日本の美
屏風絵という様式に興味がある。
のでサントリー美術館で開催されるこの展覧会は見逃せなかった。

本展では、屏風の変遷をたどるとともに《屏風の成立と展開》《儀礼の屏風》《BIOMBOの時代 屏風にみる南蛮交流》《近世屏風の百花繚乱》《異国に贈られた屏風》《海を越えた襖絵と屏風絵》という多角的なアプローチで屏風の魅力に迫り、貴重な名品をご覧いただきます。屏風がたどった歴史や、もとめられてきた機能、とくに文化交流の側面で屏風が果たした役割に光をあてつつ、グローバルな視野から屏風の再検証を試みる展覧会です


屏風の魅力はそれが様式化された大画面の半立体なとこにあると思っていて、
すると舞台装置の魅力と近いといえるのか、
そこでは制約の中、鑑賞者との関係の作り方が深く研究されるから
本質的な美のありかたのいくらか近くにある理論があるような気がしてて。

ほんとかどうかは知らないけれど
まあ、そう考えるようになるくらい好きな屏風絵がある。

でも最近なにか違くて。
屏風をみてやるぞと思って美術館に入っていったけど
これが屏風だと感じられる屏風には出会えなかった。
何も感じないまま出口から出てきてしまった。

どうも考えすぎて変な考えに取り憑かれてるのかもしれない。
屏風絵の手法を解剖したいと思っている。

今になって思うと展覧会に期待したのもそれだったのだけれど
ちゃんと読めば上に引用した概要には手法がどうとか書いてなかった。
それをちゃんと読めてなかった。
もう自分がどうなってるのかわからない状態で。
語ろうにも何も語れない。

ちゃんと楽しみたかったなぁ。
| 屏風 | 02:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
朝顔図屏風と立体作品としての屏風(その3)
朝顔図屏風と立体作品としての屏風(その1)のつづきの朝顔図屏風と立体作品としての屏風(その2)のつづき

これまでで、いくつかの印象の異なる画面が鈴木其一作の朝顔図屏風から得られることを述べた。この効果は屏風が立体的に、やや折りたたまれて展示されることにより実現されている。

さて、ある場合では朝顔図屏風を鑑賞する鑑賞者は次のように動くだろう。
まず屏風が置かれている部屋に入り、正面からの画面を見る。少しずつ屏風に近づき、ぎりぎりまで近づき、今度はその位置から横方向に動いてゆく。そのあと少し後ろに下がる。
特別なところはない。鑑賞者は屏風に描かれた朝顔の細部をよく見ようと屏風に近づいてゆく。ここでは描かれた朝顔のそれぞれの部品が注目されている。そこから横に動くのも細部に注目するからで、そして全体を見ようと後退する。

またこの作品については次のこともいえる。画面中の朝顔は様式化され記号化されて描かれている。それは無機質でもあり、それ自体で純粋な美しさ以外の特定の感情を呼び起こすものではない。鑑賞者自身の心の様子を投影する対象となるような鏡のような造形である。

上の場合のように動くとき、鑑賞者は最初に見た画面の印象を保ちながら細部を眺める。そこでは最初の印象を無意識に朝顔に投影するため、その印象をもつ朝顔が鑑賞者の目の前にあらわれる。彼はその印象をもとにした朝顔図屏風を体験する。
もし別の鑑賞者が別の印象を抱いて屏風の細部を眺めるなら、上の鑑賞者とは異なる朝顔図屏風を体験することになる。印象の異なるいくつかの画面が隠されているこの作品において、普通に起こりうることである。

朝顔図屏風からはいくつかの印象の異なる画面が得られ、それによっていくつかの印象の異なる朝顔図屏風があらわれる。

*2006年6月19日追記
つづきが無いとこれだけじゃ、とか思いつつ、もう暫く放置しそうな気配が。
| 屏風 | 02:13 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
朝顔図屏風と立体作品としての屏風(その2)
朝顔図屏風と立体作品としての屏風(その1)のつづき



朝顔図屏風の前に立ったときの見え方は、おおまかには上のようなものになる。これを前回の冒頭で紹介した長方形の画面と比較し、その印象の違いに注目する。

さて、実際の見え方を模した画面のほうが、横幅が狭まったことで全体のまとまりがよくなっていないだろうか。画面の中央下では両側から迫る蔓の波が強調され、全体を埋め尽くそうとするしたたかな生命力が感じられる。



鑑賞者が屏風の前で移動すると、屏風のそれぞれの面と鑑賞者との角度が変化し、異なった画面が見える。鑑賞者の位置によって見え方は無限にあするのだが、例えば上の位置だと、右側では見えなくなっている面もできている。視点が屏風に近くなっていて、画面全体が一度に見えるないことにも少し注意してもらいたい。
隠れた面がある屏風の右端では、面の重なりによって、左下を向いた三日月形の印象的なかたちが現れている。画面中央やや右にも同様の三日月形が描かれ、調和をもたらしている。印象としては物悲しげに感じられる。



今度は反対側から屏風を眺めたところを取り上げる。
画面左端にある朝顔の群から手前に向けて差し出された二本の腕が現れている。また正面では視界いっぱいに豪快にしぶきが飛んでいる。先ほどとは対照的に力強く奔放な画面である。



さらに別の位置から見ると、これまでの3つとはまた違う画面が現れる。
画面右側から先に行くにつれてだんだんと細くなる腕は、風の中でしなやなになびくように全て左側に向かい、その先では花や葉が吹き溜まりへと追いやられている。どこか、苦しげな印象を受ける。

ここまで、朝顔図屏風が4つの異なった位置に立つ鑑賞者から実際にどう映るかを検証した。それぞれの位置で目に映る画面はそれぞれ違った趣を持ち、また整ったものであった。

朝顔図屏風と立体作品としての屏風(その3)につづく
| 屏風 | 00:49 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
朝顔図屏風と立体作品としての屏風(その1)


写真は、(白黒になってるのは置いておいて)鈴木其一作の朝顔図屏風である。メトロポリタン美術館に所蔵されるこの作品は、群れて咲く朝顔を描いたもので、植物そのものの生命感やおもしろみではなく画面構成によって成立している。金地の背景の上で、朝顔の葉と花がにごりのない緑と紫の洗練された記号となって寄り集まり、蔓を這わせる。それ以外には何も描かれず、細部の造形は明快ですがすがしい印象を与える。
とはいえ、江戸琳派を代表する作品なのだが、この作品の魅力を写真だけから感じ取るのは難しいだろう。少なくとも写真が実物に肉薄してはいない。右隻では円を、左隻では左上隅から右下隅への直線を主体にした平面的な構成は、むしろ、頼りなげに延びる蔓とあいまって得体の知れない不愉快なものと映るかもしれない。
しかし見所がない作品と思ったとしても、少し立ち止まって考えてもらいたい。この屏風の前に立ったとき、本当に上のような画面が現れるのだろうか。

まず注意してほしいのは、作品が左右それぞれ178.2cm×379.8cmの大きさであることだ。これだけの大きさの作品の全体を一望しようとすると、作品から数メートル離れなければならない。もちろん絵を眺める時にはこれくらいの距離をとるが、描かれた花を見るには、より近づき、顔を動かさなければて全体を見ことのできない位置に立ったほうがよい。
このようにして作品を近くから鑑賞するとき、遠近法によって、作品全体のうち目の前にある部分は、体から遠くにある部分に比べて大きく映る。写真に写った屏風は無限遠から見たように長方形をしているが、実際の画面はこれと同一のものとはならない。

さらに重要な点として、屏風の配置されかたを考慮する必要がある。上の写真のようにして、屏風の全ての面を正面に向けた場合、屏風はそれだけでは立っていられない。通常、安定して床の上に立たせるため、屏風はやや折りたたまれて設置される。
この状態の屏風では、鑑賞者は決して写真のような画面を見ることはない。最大限遠くから正対して眺めてもそれぞれの面は鑑賞者とわずかずつ斜めに向き合うし、鑑賞者の位置によっては一部の面の横幅が狭くなり、あるいはゆがんで目に映ることになるのだ。

以上をふまえて、この後、実際に目に映る朝顔図屏風のかたちを検証する。

朝顔図屏風と立体作品としての屏風(その2)につづく
| 屏風 | 23:11 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
根津美術館、燕子花図 と藤花図
尾形光琳の燕子花図は、この前一回見逃してしまっている、はやく見ておきたい作品だった。
根津美術館で公開されてるので出かけることに。

で、かつてないほど拍子抜けしてきた。
ただの塗り絵にしか見えない。
存在感はなく、何の感情もわきあがらない。

それはただ燕子花図にかぎったことではなくて、
以前魅せられたことのある光琳の夏草図でも、これも感動しない。
極端な精神状態で臨んでもいなかったから
とても妙な感じ。

だからといって簡単には作品には失望できない。
から疑問の矛先は展示手法に向かっている。

開催中の展覧会は“近代屏風絵の魅力に迫る”ことがねらいらしく、
L字型をした展示室に屏風絵ばかり9作品が展示されている。
それが、見せ方としてなおざりなんじゃないかと。

屏風は本来、広間の奥にでーんと置かれるもののはずで、
部屋の印象がそこに描かれたもので決定されるような道具のはず。
広い空間にわたって影響を及ぼす力を持っている。
そんなふうに考えた。

そんな我の強いものたちを
下手に複数配置すると、簡単に互いの制空権がぶつかり合う。
絵をしばらく眺めた後、別の位置から鑑賞しようと少し目をそらすと別の絵が飛び込んできて、そちらに注意が向けられる。
ひとつの作品を総合的に体験できなくなってしまうような。
そんな状況を思った。

今回どの作品についても、この絵を鑑賞しているのだという感覚が得られなかったのは事実だし、
展示が不十分だったということにしておきたい。
少し理論武装が必要かも。

*2006年5月26日 文章の細かい部分を変更
| 屏風 | 01:07 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
燕子花図
根津美術館の「特別展 国宝燕子花図」が今日までだった。

10月8日から始まってたけど、途中展示替えが入るうち、後半のほうが八橋蒔絵硯箱も一緒になっていて面白そうだなと。
10月は中頃にに三井記念美術館で三井家の名品展を観て、次は根津だなと考えたきり予定をたててなかった。で、のんびりしすぎた。

初めて燕子花図の実物を見るチャンスだったのに。
次の機会はいつになるんだろう。
| 屏風 | 23:33 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
雪松図屏風
新しくなった三井記念美術館でやってる
「美の伝統 三井家伝世の名宝」に行ってきた。

展示室が三井本館の7階で、エントランスは隣のこっちも最近できたばかりの日本橋三井タワーに。このエントランスが軽やかに上質でなかなかいい。

で、丸山応挙作の雪松図屏風がに展示されているのは第4展示室の一番奥、入る前から目に入る位置。
六曲二双の金屏風で、なんというか、美意識の塊。
さすが国宝。

でも、あの大きさになっている理由がちょっと理解できない。
確かに、右と左の画面が見事に呼応しているし、
屏風の様式美をつきつめた感じもする。
この図案を屏風絵としてじゃなく提示されても面白くないだろう。

屏風の間近まで寄ると、筆遣いの粗さが目立って。
それは凄いけど、にしても、
その位置では描かれているものに目が行かなくなる。
遠目で美意識が凝縮されたイメージを投げかけた後で、これを見せる理由はなんだろう。

作品としてなら、よく見ないと筆遣いが分からない程度のサイズに縮小したほうが完成度が上がる気がするんだよなぁ。

まぁ、とりあえず見ておいたほうがいい、凄い作品だよ。


そんなわけで、これまでと大きくテーマの異なる投稿でした。

*2007年8月11日 文章を一部変更
| 屏風 | 23:00 | comments(0) | trackbacks(1) | - | - |